迎合人への意見書
- SAPO(部門責任者)
- 2024年11月7日
- 読了時間: 4分

この世の議論は、極論賛成と反対意見に分けられる。では、次の議題について皆さんはどちらの立場に立つだろうか。その一例として、私が両方の意見に立って意見を述べてみる。 議題としてはネット記事と新聞ではどちらが必要か?と言うもの。まずは新聞の方が必要という意見から述べる。
私は、新聞の方が必要だ。と言う立場で、その理由を二点述べる。
一点目としては、新聞は電気を使用しない為、電気が遮断された地域においても情報を届けることが出来る点だ。もし災害がある地域に起きたとしよう。その時に、停電が発生し付近の電波塔が使用出来なくなった場合、道路さえ断絶されていなければ情報を届けられる。これは新聞の最大の利点だと考える。
次に二点目は、新聞はネット記事に比べ多様なニュースを仕入れる事が出来る点だ。ネット記事は、調べたい記事に検索を掛けるとすぐにその記事に辿り着ける反面、その他のジャンルのニュースがおすすめされる事は少ない。これは、ニュースサイトがCookie(ユーザーのウェブサイト閲覧履歴等を提供して最適なものをおすすめするための機能)によって仕入れた情報により、今のユーザーが興味のありそうな記事をお勧めしているためである。そのため、普段興味のない記事(私だと上野動物園の某パンダの記事)を知る事が出来る。知った所で活用しないのでは意味が無いが、この様な情報は会話の種になりそこから友好関係が築ける事もある。
以上二点から、新聞の方がネット記事より優れている為必要である。
次に、ネット記事の方が必要と言う立場で意見を述べてみる。
私は新聞よりネット記事の方が必要だと考える。その理由を次の二点で示す。
一点目は、ネット記事の検索のしやすさである。新聞では政治系の話題、娯楽系の話題、テレビ番組の放送時間など、ある程度ジャンルが決まっている場所に全体に目を通しながら情報を得ていく。この時、〇〇と言う場所でイベントがありました。という記事を探すために娯楽の記事一面から探していくことになる。しかし、ネット記事の場合はそんな事はしなくとも『〇〇 イベント』で検索するとすぐに欲しい記事が表示される。時間のない現代人にとってここまで時間が短縮出来るのは大変嬉しい事である。
二点目は、その手軽さである。新聞であると紙媒体なので重くは無いが、どうしても持ち運ぶ際、嵩張(かさば)ってしまう。これに対して、ネット記事は多くの場合がスマホやタブレットで閲覧する事になる。電車、バス、外出先でのふとした時間に新聞を開くのと、アプリで検索をかけて記事を閲覧するのでは、明らかにアプリで検索した方が早く、楽である。
以上二点により、私はネット記事の方が必要であると考える。
さて、どうだっただろうか。どちらも同じ人が書いた文章である。新聞派の意見を聞くと確かに、災害時に役に立つと思い、ネット記事派の意見には確かに、ネット記事は手軽さ武器だよね。と思うだろう。ここまで書いておいて、私が言いたいのは物事の二面性である。ある点においては一方が優れており、他の点では他方が優れている事がある。これらを考慮せず、一方の意見に乗っかるだけでは、自分で物事を考えて生きているとは言えないと考えられる。その為、これを読んだ人にはただ人の意見に迎合するだけ、事勿れ主義で生きていく、ということはやめて頂きたい。生き方を強制したいわけでは無いが、自分の意見を持って信念を貫く事も時には必要と言うことを覚えておいて欲しい。ただし、今まで散々迎合して来た人には、今更自分で意見を出す事なんてもう無理だ。と考える人もいるだろう。
ということで、まずそのような人はどのような事を変えていけば、ただ迎合するだけでなくなるだろうか。私は、先程述べた物事の二面性にその糸口があると考えている。例えば、コーヒーと紅茶のどっちがいいかという議論があったとしよう。そして、周りはコーヒーがいいと発言している人しかいない場合で、コーヒーと紅茶ではコーヒーの方が同じ量当たりカフェインが多いから、作業をする際に良いと発言があったとする。その際、あなたは無駄な対立を生まないために、コーヒーを選択するかもしれない。そこで、一旦紅茶の良い所を思い浮かべてみよう。例えば、コーヒーと紅茶どちらが一杯あたりの値段がどうなのかという点である。今調べると、コーヒーは平均一杯あたり二百円から三百円で、紅茶が百五十円から二百円と出てきた。もし、紅茶とコーヒーどっちも普通だな(好き嫌い的に)と感じているならば、値段的には紅茶に軍配が上がりそうだ。
時には周りの意見も重要ではあるが、人とは違う観点を見るだけで、あなたは対立意見を自分で生み出すことが出来るかもしれない。しかし、全て対立意見を出し続けるのは逆に意見を持っていない。(深く考えず、メジャーな考えの逆張りをし続けることになるので注意。なお、明らかに、迎合する意見しか思い浮かばない場合は迎合してもよいと筆者は考える。)といった具合に、時には迎合も良いと思うが、考えなしに迎合や逆張りを行わない程度の言動が最も良いと私は思う。
このような事に気を配ると、新しい考えや道が開けるかもしれない。
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