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闇はすぐそこに


私達はどうすればよかったのだろうか?

・第一節:導入

 学生祭は、学生が中心となって運営する一大イベントであり、各チームはそれぞれの団体で役割分担をしながら準備を進めています。

 今年、私は四人のメンバーとともに、ある団体の運営を任されることになった。

 スケジュールはあらかじめ決まっており、各自が責任をもって役割を果たすことが求められています。しかし、予期せぬ出来事が私たちの運営に大きな影響を及ぼすことになりました。

 ある日、私たちのうち二名が、研究室の先生から「研究室所属の学生であること」

を理由に、運営時間の一部で別の業務に従事するよう指示された。

 この状況に対して、私たちは困惑し、さらに残された二人の負担が一気に増加することになりました。学生祭の運営が、これほど理不尽な状況で進むことになるとは思いも寄らなかったのです。

 それは、二日前におきた出来事であった。私たちにとっては、晴天の霹靂のごとく回避不可能なものであった。

 スケジュールを一週間前に出し物で登壇する順番とその時刻を決定していたのだが、ある先生Mによってメンバーのうち二名が学祭の二日間のうち二時間は少なくとも拘束されることが決まった。

 

 

・第二節:理不尽な状況とその問題点

 研究室の先生から半ば強制的に引き抜かれたことは、学生の立場からすると非常に理不尽なものでした。メンバー二人がいない状態での運営は、想像以上に負担がかかる。

 特に、時間帯が十一時から十二時および十三時から十四時に集中していたため、その間は実質的に私ともう一人のメンバーだけで進めなければならず、準備や対応が思うように進みませんでした。

 さらには、1日目のメンバーのうち一人が軽音部の活動でほとんど時間に来られないという状況も重なり、私たち二人にかかる負担は倍増した。

 事前のスケジュールは各団体の予定を踏まえたうえで調整されていたにもかかわらず、このような引き抜きが強制的に行われることで、全体の進行が大きく乱れる結果となった。学生祭は、学生同士が協力し合って成功を目指す場であるにもかかわらず、上からの理不尽な干渉によって運営が滞るという事実に対し、私たちは無力感を抱かざるを得ませんでした。

 

 

・第三節:防ぐためにできたこと、そしてその限界

 事前に、このような事態を防ぐためにできたことはあったのでしょうか。

 私たちは運営チームのスケジュールとメンバーの出席状況を把握し、研究室の先生に協力を依頼することも考えました。

 しかし、学内の立場や先生方との関係から、学生が直接的に「参加を辞退させてほしい」と主張するのは難しい現実があります。

 特に、先生Mに対しては以前もメンバー調整のお願いを試みたものの、ほとんどの場合は「無理だ」「授業と重なっている」と一蹴されてしまうことが多く、意見を取り入れてもらえることは少ない状況です。

 学生の立場では、先生の指示に従わざるを得ないのが現実であり、メンバーとしての役割を全うしつつも、研究室や授業など別の業務にも応じる必要があります。

 このような場面で、学生の声が上層部に届かず、理不尽な状況が改善されないまま進行するのは大きな課題です。結果として、事前に配慮をお願いしても、実際の対応が困難である場合が多く、限界を感じざるを得ませんでした。

 

 

・第四節:今後の対策と考察

 このような理不尽な状況を防ぐためには、今後、より効果的な対策が必要です。まず考えられるのは、他の学内関係者とのコミュニケーションを早めに取り、必要に応じてサポートをお願いすることです。

 事前に各先生や担当者と話し合い、学生祭の重要性やスケジュールの制約を理解してもらうことで、無理な引き抜きが行われないようにする手段が考えられます。

 しかし、学生運営側には権限の限界があることも事実です。各団体の都合だけでなく、学校全体のスケジュールや研究室の事情などが影響している以上、すべてをコントロールするのは難しいのが現実です。

 そこで、学校側にも学生の要望や意見が届く仕組みが求められ、サポート体制を整えることが求められます。理不尽な状況に対して、適切に対応できる環境が整えば、今後の運営においてもより円滑に進めることができるでしょう。

 

・第五節:メンバーの不足の現状

 メンバー不足の影響は、実際の運営にも大きな負担をかけました。特に、チラシやロゴの作成など準備段階で必要な作業の七割を私一人で担当せざるを得ない状況は、想像以上に時間と労力を要しました。

 準備や設営、そして当日の対応といった多岐にわたる業務を限られた人数でこなす中で、一人ひとりの負担が大きくなるのは避けられません。

 当初の予定では、メンバーそれぞれの役割分担に基づき、各自が協力して作業を進める予定でしたが、予想外の引き抜きや他の活動との兼ね合いでスムーズな進行が難しくなりました。

 その結果、チーム全体が常に忙しさとプレッシャーに追われ、当初想定していた計画通りには進まない現状に苦労しました。このような事態を通して、チームとしての連携の重要性や、サポート体制の必要性を痛感しています。

 

 

・第六節:結論

 今回の出来事を通じて、私は理不尽な状況に直面したときの対処の難しさと、運営チームとしての協力の大切さを改めて実感しました。

 学生祭という場では、各自が役割を果たしながら、周囲との連携を図ることが求められます。しかし、予期せぬ出来事や、上層部からの指示によってスムーズに進められない状況も少なくありません。

 今後、こうした経験を活かして、他の学生や関係者との協力をさらに深め、メンバー間のサポート体制を強化していきたいと考えています。困難な状況であっても、前向きに取り組むことで、次の活動につながる成果が得られるのではないかと期待しています。

 

 

怠惰の教室

・第一節:怠惰の教室で学ぶ「おかしさ」とその影響

 M先生の授業には、もう一つ気になる点がある。それは、授業時間の三十分以上を雑談で埋め尽くしてしまうことだ。

 彼の雑談は必ずしも無意味ではないし、時に興味深い話題も含まれる。学生に寄り添った気さくな一面はあるものの、講義の半分以上が本題から逸れた話であることが多い。結果として授業の内容が中途半端に終わり、学生たちは曖昧なままで課題に向き合わなければならない状況が頻発している。

 この雑談のせいで、毎回肝心な部分が「次回に持ち越し」となることも珍しくない。私はここに大きな問題を感じる。授業とは、ある程度計画的に進められるべきものであり、学生がその内容を効率よく吸収できるように構成されるべきだ。

 しかし、M先生の授業ではその流れが乱され、毎回異なる話題で「楽しませる」ことが優先されているように感じる。

 

 

・第二節:学生の「怠惰」の助長

 こうした授業のあり方は、学生たちの姿勢にも影響を及ぼしているように思う。M先生の遅刻や雑談が常態化しているためか、学生たちの間には「先生が遅れるのは当たり前」「どうせ雑談で時間が減るから気楽に構えていよう」という空気が漂っている。

 このような「怠惰の教室」において、学生たちは授業の効率や質をあまり重要視していないように見える。

 授業が短縮されることを喜ぶ学生たちは、授業内容そのものよりも時間を節約できることに価値を見出しているのかもしれない。

 彼らにとって、授業がしっかり行われているかどうかよりも、「楽ができる」ことが重要視されているようだ。このような状況は、学生にとって教育の本質を見失わせる要因になりかねない。

 

 

・第三節:教育者としての責任

 教育者にとって最も大切なことは、学生に対して真摯な姿勢で教えることだと私は考えている。

 教育の場は、ただ知識を伝えるだけでなく、学ぶ姿勢や責任感を育てる場でもある。M先生のように遅刻や雑談が頻繁にある授業は、学生に「学ぶこと」への真剣さを伝えるどころか、怠惰な態度を助長しているのではないかと思うのだ。

 たしかに、授業の合間に少しの雑談を交えることは、学生との距離を縮めるために有効な場合もある。

 しかし、雑談が長すぎて本来の内容に影響を与えるようでは、教育の質を損ねていると言わざるを得ない。

 教育者としての役割を果たすのであれば、時間を守り、授業内容に集中することが不可欠だ。

 

 

・第四節:「怠惰の教室」がもたらす長期的な影響

 さらに、私は「怠惰の教室」がもたらす長期的な影響についても懸念している。このような環境で学んでいる学生は、やがて「怠惰な態度」が当たり前のものとして身についてしまうかもしれない。

 彼らが社会に出たときに、同じように仕事や責任を「後回しにする」「時間を守らない」といった姿勢をとる可能性が高くなる。

 教育の現場で身につけた価値観や態度は、その後の人生にも影響を与えるものである。M先生の授業がもたらす影響が一時的なものにとどまらず、学生の価値観形成にも関わることを考えると、このような「怠惰の教室」が本当に教育の場としてふさわしいのか、疑問が残る。

 

 

・第五節:結論:「おかしな」教室から学ぶべきこと

 結論として、「怠惰の教室」において私が感じたことは、教育における「真剣さ」や「時間管理」の重要性だ。

 M先生の授業を通じて学んだのは、どのような態度で教えるかが、いかに学生に影響を及ぼすかということである。教育者には、学生にとっての模範となる姿勢が求められる。

 

 

私の最近思うこと

・第一節:アカハラの現状と学生への影響

 近年、パワハラ、セクハラ、モラハラといった様々なハラスメントが問題視されるようになり、社会全体で認識を高める努力が続けられている。

 しかし、その中でもアカデミックハラスメント、いわゆる「アカハラ」は、まだまだ解決が難しい問題だと感じる。大学や専門機関における権力関係の不透明さ、教授や指導者が持つ「権力」と学生の「弱い立場」の不均衡は、ハラスメントを助長しやすい土壌となっている。

 ここで注目すべきは、最近学校が実施した「アカハラに関するアンケート」だ。一見すると、アカハラの実態把握を目的としているように思えるが、実施方法に大きな問題がある。このアンケートは、学生を教室に集めて一斉に回答させる形式で行われ、回答用紙を伏せて退場する形で回収される。

 万が一、回答内容が誰かに見られることがあれば、不利益を被るのは学生であり、回答に慎重にならざるを得ない。また、アンケートを集団で行うこと自体が、正直な回答を阻む要因となっている。

 このような状況では、学生が本当に感じているアカハラの実態を把握することは難しい。

 

 

・第二節:学校側のアンケート実施の目的と問題点

 このアンケートが本当に必要なのかどうか、疑問が残る。アンケートの名目上は「アカハラの実態把握」だが、実際には「学校がアカハラに取り組んでいる」という姿勢を示すためだけに行われているようにも思える。

 アンケートで表面上のデータを収集することが目的になっているのではないか?たとえアカハラに関する意見が集まったとしても、それが実際に改善に結びつくかどうかは不明確だ。

 


・第三節:アカハラの具体例:研究室の「支配」

 今回のエッセイで取り上げたいのは、ある団体が運営していたイベントでの出来事だ。イベント準備に向けてスケジュールが組まれ、メンバーがそれぞれの役割を果たしていた。

 しかし、そのうちの二名が、所属する研究室の先生から「研究に関わる」として強制的に働かされることになり、イベント準備のメンバーから半ば排除された。この先生は、学生にとって「研究の進行」「卒業の可否」に大きな影響を与える権限を持っているため、学生が逆らうことは事実上不可能だ。

 彼らにとって、この「強制」はアカハラと感じられても、それを口にすることができないという現実がある。

 

 

・第四節:アカハラをなくすためにできること

 では、このアカハラをなくすためにはどうすれば良いのだろうか。私たちが考えられる解決策は、以下のようなものが挙げられるだろう。

㈠    透明性のある相談窓口の設置 学生が安全にハラスメントについて相談できる窓口を整備することが重要だ。


しかし、相談窓口自体が学校内部にある場合、学生が「告発者」として悪影響を受けるのではないかという恐れもあり、信頼できる機関が提供する外部相談窓口が必要だと考えられる。


㈡    ハラスメント教育の徹底 教職員に対するハラスメント教育を強化し、アカハラを「自覚」させる機会を設けることも一つの方法だ。権力を振りかざす行動がハラスメントに該当することを学ぶことで、指導者としての意識を高めることが求められる。


㈢    外部による定期的な監査 大学や研究機関におけるアカハラの実態を、定期的に第三者機関が監査し、報告する制度を導入することも有効だろう。これにより、教職員が不正な行為を行った場合でも隠蔽されにくくなる。

 

 

・第五節:結論:アカハラをなくせない現状とその対策

 残念ながら、現時点でアカハラを完全に排除することは難しい。特に、学生と教職員との間には大きな力関係が存在するため、学生が反抗したり意見を述べたりするのは容易ではない。

 また、学生が自らの進路や評価に不安を感じるために、アカハラを受けても黙ってしまうことが多い。

 アカハラが完全になくならない現状を踏まえると、学生にできることは「対処」や「耐える」ことになってしまうかもしれない。しかし、それが解決策のすべてであってはならない。

 

・これはもしかしたら、現実で起こっているかもしれません。しかし、それに反抗できないのも事実かもしれません。どうしたらいいのでしょうか?

 
 
 

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